生活の手段としての表現から芸術表現、科学の出現、そして表現の乖離現象と孤独
2020年1月24日
人はその人生生活において様々な表現を行う。
言葉、身振り・手振り、表情、歌、音楽、服装、料理、絵、住居、生活スタイル、数学、科学、テクノロジーなどなどあげていけばきりが無い。
これは集団で生きるために必需の要素であり集団の連携を図るために必須のものだ。
人は誰でも自分において表現者である。
この表現を他者と円滑にするためには高度になればなるほどフォーマットが重要になる。
芸術家というのはこのフォーマットを駆使する達人で有るがこれは高度になればなるほど人を孤独にもして行く。
表現の集団からの乖離が起こってしまうのだ。
この乖離現象は万人に当てはまる。
個人においての表現手段はその人自身の独自のもので有り成長の過程と共に形成されて行くものだ。
これが上手く流布されている表現に当てはまればその人は少しだけ救われる。
ただこの表現は近年において孤独を深め多くの社会生活者はその救われない表現のただ中で右往左往する事になる。
これは表現手段が高度になりすぎた点もあるし学校などで自分は表現する機会なしに一方的に教育として受け入れることを強制される事などによる表現嫌いもある。
しかしネガティブにはならずに諦めずに表現を行って欲しい。
表現のチューニングが合う相手は必ずいるはずだ。
表現もビルドアンドスクラップを行っても良い。
是非、表現を発見した表現者たちの興奮も感じて貰いたいところである。