原子力発電への安全投資を十分に行なっていくべきか?

地球温暖化に際して経済拡大を成し遂げながらある意味決定的な解決策としての機能を備えているのは現状は原子力発電が一番親和性が高い。

この原子力を危険だと言って社会的に排斥して投資を滞らせる事は原子力発電の安全リスクをますます高めていく結果にはなる。

ここで人々がどれだけ電力に頼った生活を送っているかを再確認してゆく必要性はある。

もちろんエネルギーバランス的に石炭発電、火力発電を削減しつつ自然再生エネルギーへの投資を行う事は極めて重要な事だ。

ただ相対的に自然再生エネルギーは自然が算出する以上にエネルギーは算出できないという弱点がある。

我々は経済発展のために地球気候を大幅に変動させる様なエネルギーを産業革命以降使って来ての現在があるというわけである。

ここでエネルギーロスは核廃棄物や原子力発電所の事故により排出される可能性がある放射性物資とエネルギーロスにより起こりうる経済破綻に伴う地球大恐慌との間での鬩ぎ合いという結論が浮かび上がってくる。

原子力発電所の事故は何千人、何万人かの命を奪いその後も数千万人規模で深刻な放射能汚染の危機を孕むものだろう。

ただしエネルギーロスによる経済破綻は国家規模での紛争などの原因になり、もしかしたら数億人、数十億人の命を奪うかもしれない。

我々はどちらかを選ばなくてはいけない様な時代に突入している事は大きな悲劇ではある。

ここで原子力発電の安全性をどこまでも重視してゆく開発に乗り出してより安全性を高めてゆく投資を促して行く事は重要な選択肢に上がるかもしれない。

これは政争の愚などで終わらせて良い問題ではなく我々が将来世代に渡って生き抜くための最大の選択とも呼べるものなのである。

エネルギーは文明を支える上で絶対に欠かせないものでエネルギーが停止した途端に我々は一気に原始時代の生活に逆戻りしてしまう。

原始時代の地球全体で数万人〜数百万人の人口スケールならそれでも良いかもしれないが今を生きる人は生憎70億人を突破している。

これは文明破綻とともに70億人が限られた資源を奪い争い合う壮絶な殺戮の世界になってしまう。

何としてでも現状のエネルギー量は維持しなければまさにこの世の地獄が広がってしまうのである。

そこで少しでも持続可能エネルギーを確保するために選択肢は多い方がこした事はない。

ここで原子力の安全性への投資を盛んにして行くことも重要な選択肢の一つになる。

これは冷酷な様で少しでも可能性の種を未来へつなげるために必要な苦渋の選択肢とも言える。

皆さんはどの様な意見に賛同なさるでしょうか?

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